ご挨拶

はじめまして

はじめまして。 35歳(正確には34歳9ヵ月)で自己免疫性肝炎にて入院しました。 もちろん入院時は自己免疫性肝炎という診断ではなく、急性肝炎による急性肝機能障害だったと記憶しています。

2016年3月17日木曜日

入院1日目



2月22日。朝から外来の予約票を取る。
紹介状とCT等のデータを渡し、数時間待つことに。
外来担当医は膵臓・胆のう専門医。胆のうに問題があると言われていたので、ちょうど良かったと思いつつ、
イスに腰掛けるのもだるく、液晶画面に自分の受付番号が表示されるのをひたすら待ち続けました。

昼前に診察室に呼ばれ、紹介状とデータを見たが、胆のうよりは肝機能の問題である可能性があると言われ、血液検査・尿検査・腹部エコーの検査のオーダーが出る。ここ数日でたくさん血を抜かれたなぁと思いつつ(このとき思ったことは、後になってまだまだこれくらいと思いますが…)、検査を済ませ、再び診察室へ。

そこで、やはり肝機能に問題があると言われ、肝臓専門医の診察室へ回されました。
この時すでに午後診開始。ちょうど午後から肝臓専門医の診察があり、少し待ちましたが診察へ。

そこで血液検査の結果を見てがく然としました…。












生まれて初めての「H」の行列。(Hはhigh値。上限値超えです。)
特にASTは1,538(上限33)、ALTは1,301(上限42)、γ-GTは315(上限47)、T-Bil(総ビリルビン)は10.1(上限1.2)、D-Bil(直接ビリルビン)は6.6(上限0.3)でした。ASTやALT、γ-GTは肝機能の酵素異常を見る値で、ビリルビンは黄疸を見るのに役立つそうです。ここまで基準値を超えているので、その後「すぐ入院してください」と言われても、納得せざるを得ませんでした。その際に、B型肝炎、C型肝炎は陰性と分かり、現時点ではA型肝炎(生牡蠣を食べたかと尋ねられました)、E型肝炎(海外渡航歴やイノシシや鹿肉の生食を尋ねられました)の可能性があると言われたものの、蒸し牡蠣を食べた以外は思い当たるものはありませんでした。それらの可能性も血液検査結果で分かるらしいので、入院中に判明するそうです。心配なことは、肝不全(いわゆる劇症肝炎)の恐れもあるので、安静して管理することになりました。

この時、すでに14時30分。お昼も食べず、入院があるかも…と思いつつ準備をしていたにも関わらず、足りないものもあるので2時間だけ外出許可をもらうことに。必ず家族とともに移動すること、できるだけ動かないことを条件に入院後2時間の外出許可をもらいました。

病室は3階。ICUと同じフロアで、大部屋と言いながら、棚やテレビで隣と仕切りが設けられ、キレイな病室でした。看護師さんにリストバンドを着けてもらい、ベッド上安静の紙を貼られました。入院時に必要な一覧が分からないと言うと、「緊急入院の方なので、ここで説明します」と言われ(本来は入院受付という事務受付を経て入院になるそう。ここを通らなかったので「限度額認定証」の存在を知らず、後で慌てましたが…。)、必要なものを確認し、外出許可をもらいました。外出許可をもらった時に職場に電話。もともと入院になるかも知れないと伝えていたので、入院したことを報告しました。

自宅に帰り、コンタクトレンズやマスク、耳栓など着替え以外の日用品をそろえました。
その後、家族とうどんを軽く食べ(家族も昼食抜きでした…)、病院に送ってもらいました。
できるだけ普段の生活がしたいと、パジャマでなくジャージというラフな格好で過ごしましたが。

夕食はおかゆと肝臓食。味は美味しいものの、うどんを口にしたのもあり、ほとんど食べられませんでした。夕食後は30分間横にならないといけないので、夕食の片付けを家族に任せ、安静に。家族が帰った後、点滴開始。ソルデム3A500mlにタチオン200mgが入った点滴で、肝臓の機能を正常にするための点滴だそう。

点滴中に職場の上司がそろって来室。忙しい中、遠方にもかかわらず時間を割いて来てくださったことに感謝。迷惑をかけることを詫び、当面の仕事の段取りを伝えておく。病気欠勤の手続きのため、時系列で報告を行う。入院計画書が出来次第、連絡することを伝えておきました。

その夜。今まで忙しさの中で「頑張れ!頑張れ!」と自分を励ましながら過ごしていたことから解放されると、言いようもない体のだるさや重さに襲われ、「やっぱり調子が悪かったんだな…」と自分に無理をさせていたことを痛感しました。この夜の気が抜けたのと同時に、ぼんやりと過ごす時間が増えていくのでした。



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